1. HOME
  2. 女性起業家とファッション
  3. 女性社長のファッション美学
女性起業家とファッション

女性社長のファッション美学


世界的有名ブランドの女性社長や、女性ならでわの視点で事業を創り上げた女性たち。
性別や学歴などに関係なく、あらゆる人たちが起業をしやすくなりつつある現代ですが、国内外で活躍する女性起業家は昔から存在しています。

活躍を遂げた女性たちは、どのような哲学をもち、どのような美学を持って、人生を歩んできたのでしょうか。
今回は、そんな女性たちにとっての「ファッション美学」に今回は注目しました。

目次

美学とは?

美学とは、〈美しいもの〉や〈面白いもの〉などを見てとるときに働く「感性」について考える学問のことを指します。「美学」という名称をつけてこの分野を確立させたのは、18世紀の哲学者バウムガルテンです。そして、学問が確立したのは18世紀であるが、感性や美について考察しようとする試みは古代のプラトン、アリストテレスにまで遡ることができます。
18世紀以降の西洋社会においては、芸術こそが感性の働きが典型的に現れる場だと考えられたそうです。

そんな美学をきっと、活躍する女性社長たちは持っているはず!
女性の社会進出の歴史を生み出してきた人から、今最前線を走る女性まで、美学とともに歩んできた道のりをクローズアップしていきましょう!

ココ・シャネル

 

この投稿をInstagramで見る

 

Coco Chanel(@gabrielle.chanel__)がシェアした投稿

女性の社会進出の偉大なる貢献者と言えば、ココ・シャネルは外せません。そんな彼女の本名はガブリエル・ボヌール・シャネル。
1883年フランス南西部オーヴェルニュ地方出身のココ・シャネル。幼い頃に母親は他界し、父親とも別れたため、孤児院や修道院で過ごしました。

修道女たちから裁縫やアイロンがけなどを習ったのち、18歳で田舎町ムーランの寄宿舎へと移ったシャネル。ムーランではお針子仕事のかたわら、騎兵将校たちが集まるキャバレーで歌手として舞台にたち、人気者になりました。「ココ」というニックネームは、この時代にもらったものです。しかし、人気歌手でいられたのは田舎町だけでした。都会に出た彼女は、歌の仕事では大成できないと気づかされます。

「私の人生は楽しくなかった。だから私は自分の人生を創造したの」という言葉を残している通り、彼女は自分の道を自分で切り開いていきます。
その一方、ムーラン時代に出会った元騎兵将校の恋人が繊維業者の富豪だったため、シャネルは彼のシャトーに移り住み、上流階級の人々と交わるようになりました。

彼女は、働く必要のない「豊かな生活」の中でも生きがいを求めます。
周囲の女性たちのために帽子作りをはじめたのです。そして、恋人からお金を借り、パリで最もファッショナブルな地区、カンボン通り21番地に「シャネル・モード」をオープンしました。

そして、実用性のない帽子やコルセットなど、当時のブルジョアたちのファッションに疑問を持つようになります。

「競馬場で女性たちが被っていたのは、フェザーや果物で飾った巨大な帽子。でも何より我慢できなかったのは、その帽子たちが彼女たちの頭に全くフィットしていなかったこと。」

当時の主流だった華美で装飾過多な帽子とは正反対の、シンプルでコンパクト、実用的でお洒落な帽子は、新しいモードファッションとしてたちまち評判を呼びました。1913年には、上流階級が集まるリゾート地ドーヴィルにブティックを開業。シャネルが作り出す、活動的な女性のためのレジャーやスポーツに適した服は、人々から熱狂的な支持を得たのでした。

帽子こそがシャネル(CHANEL)の始まりなのです。

シャネルが引き起こした「ファッション革命」

喪服の色を優雅で実用的なドレスへ
彼女のデザインで最も革新的だったのが、ブラックを用いた服です。
このアイテムがファッション界に登場するまで、黒いドレスは死者への哀悼を表すもの、すなわち喪服とされてきました。しかしシャネルは既成概念に囚われることなく、タブーであった「黒」の可能性を見出します。

「黒一色にしてみる。たくさんの色を使えば使うほど、女はかえって醜くなるということにみんな気づかない」と語り、「黒は全てを含む色。白も同じよ。共に絶対的な美であり、完全な調和だわ」と黒と白の持つ美しさに絶対的な自信を持っていました。

彼女が作ったシンプルな黒いワンピースは、パーティに、観劇に、シーンを選ばず女性たちから愛されるようになりました。シャネルは「リトル・ブラック・ドレス」がどれほどシックで実用的になるのかを、ファッション界で証明してみせたのです。

女性の両手を解放した、革命的なバッグ

世界中の女性があこがれるアイコンバッグ「2.55」。
ハンドバッグやクラッチバッグが主流だった1920年代、シャネルは女性の両手を開放すべく、軍用の肩かけ鞄をヒントに「肩紐つきの女性用バッグ」を考案します。
肩からハンドバッグを下げられるようにレザーのストラップをつけたのが始まりで、そのアイデアの根源はなんともココらしく斬新でモダンな考え方から生まれています。
「ハンドバッグを手に持っていることにうんざり。疲れるし、よく失くしちゃうんだもの。だからレザーのストラップをつけて肩から下げたの。そしたらみんながマネしたわ」と語っています。
彼女は女性の両手を解放することに成功しました。

パールとダイヤモンドを愛した

ココ・シャネルのファッションはパールをなくしては語れません。
シャネルスーツのシンプルさや気難しい黒のエレガンスさを何よりも引き立ててくれるのがパールです。
パールをこよなく愛した彼女は、「私のパールを探しにいってらっしゃい。パールを首に纏わないうちは、アトリエにはいきません」と断言していたほど。
そして、永遠に変わることのないダイヤモンドも、彼女が愛した宝石のひとつ。
「私がダイヤモンドを選んだのは、最小のボリュームで最大の価値を表現しているから」と残しています。

「ファッション」で世界を動かした

第二次世界大戦が始まると、シャネルは全ての店を閉め、表舞台から姿を消してしまいます。誰もが、シャネルの時代は終わったと思いました。
しかしそれから15年ほど経て、70歳になったシャネルは「退屈で死にそうよ」と、再びパリに戻ってきます。彼女はまた、ファッション界のリーダーとなったのです。

シャネルがこの世を去ってから半世紀が経ちました。
彼女が引き起こした「ファッション革命」によって、現代の女性たちはより自由に、より活発に自分らしいファッションを楽しむことができるようになりました
美しさやセンスの追求には信念が込められていました。
そして、しがらみに囚われていた女性たちの身も心もファッションで解放したことで、シャネルはファッション界のみならず、世界の概念を永遠に変えました。

コシノジュンコ

 

この投稿をInstagramで見る

 

JUNKO KOSHINO(@junko_koshino_official)がシェアした投稿

著名なデザイナーの数々を輩出している「文化服装学院」の出身であるコシノジュンコさんは、デザイン科の在学中に「装苑賞」を最年少で受賞されています。
この「装苑賞」は新人デザイナーの登竜門ともいわれており、女性向けファッション誌「装苑」の創刊20周年記念に創設された歴史あるコンテストです。

その後、1978年に開催されたパリコレを機に世界各国でショーを開催し、数々の名誉ある賞を受賞するなど、世界からも高い評価を得ています。現在もファッションに留まらず、ジュエリーやインテリア、花火までデザインするなど幅広く活躍されている女性デザイナーです。

コシノジュンコさんの作品は世界でも一目置かれていて、コシノジュンコさんがファッションショーを開催するたびに、ファッション業界が動くほどの影響力を持っています。

遊びは、ひとつの余裕

遊びのことを「余裕」と語るコシノジュンコさん。

きちんと完璧というのは、遊びがなくて苦しい。仕事ばかりでなく、ちょっと横をみてみるとか。小さな余白、余裕があることで、全体がうまくまとまる。車のハンドルにも遊びがあるでしょう(笑)。
引用:コシノジュンコさんが語る“遊びのセンス”とは?「遊びって、ひとつの余裕ですよね」|家庭画報

そして、コシノジュンコさんが手がける「JUNKO KOSHINO」のコンセプトは「和」。
「和」の要素を繊細に取り入れたデザインが多く見られますが、前衛的で革新的なデザインと近未来的なデザインをうまく融合させているのが一番の魅力です。
コシノジュンコさんの表現する「和」には、日本の祭りの文化がとても色濃く反映されているということが特徴です。

コシノジュンコさんの地元、岸和田の伝統的な祭りである「だんじり」の影響を強く受けており、だんじりの提灯をモチーフにしたデザインの物もあるほどです。
揃いの半纏を着て、岸和田の街中を山車が猛スピードで走るときの「一体感」や「連帯感」がコシノジュンコさんのファッションの根幹にあると言います。
ファッションの文化に切り込む伝統と遊び心が調和されています。

服は「JUNKO KOSHINO」しか着ない

コシノジュンコさんは、普段から自身のブランドしか着用しないとのこと。
このことについて、他のデザイナーの服を着たとしますよね。『いいわね』って褒められて『これあなたの?』って言われて『いいえ』って言いたくない」と語っています。
自身のブランドに自信を持っているからこそ、誇りを持つことができるんですね。

まとめ

世界で活躍する女性たちが持つ美学についてご紹介してきました。

華やかなキャリアを歩む女性たち。
そんな彼女たちを支えるものは、目には見えない「美学」ではないでしょうか。

COLUMN

RECOMMEND