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女性起業家とファッション

女性ファッションデザイナーの着こなしテクニックとは?

ファッションにはその人の生き様が現れますが、それがデザイナーであればなおのこと。
「生み出す側」にいるファッションデザイナー自身の着こなしにはより強く生き様が現れています。

今回は二人の女性ファッションデザイナーに着目し、彼女らの着こなしと、それが示すもの、ファッションに与えた影響等について紹介します。

目次

ミウッチャ・プラダ

こちらも言わずとしれたブランド「プラダ」のオーナー兼デザイナー。

過去にはアメリカのタイム誌で「世界で最も影響のある100人」、ファッション誌のヴォーグアメリカで「ファッションの未来を切り開く7人」にも選ばれたデザイナーで、低迷期のプラダを救い、そのデザイン性を世では天才と謳われている彼女。ミウッチャ・プラダの生み出すものとその着こなしには、確かな人生観が息づいています。

ミウッチャ・プラダの思想とプラダの哲学

ミウッチャは以前にインタビューで自分のことを筋金入りのパンクだと捉えているとの発言をしていました。ただし、彼女にとってのパンクとは鼻に刺した安全ピンに代表されるような、見た目の問題ではなく、むしろ、心のありよう、人生へのアプローチ、現状に絶え間なく疑問を突きつける態度のことであるとも発言していました。

彼女には「人から見られ、声を聞いてもらわなければ意味がない」という信念があるそうです。その他大勢ではなく、抜きん出た存在であるからこそ、自身の考えを強く主張することができる。そのために彼女が選んだ武器がファッションで、しかも、世の注目を集めるすべも、彼女は心得ています。

プラダでは、見慣れた定番ものや、いかにも趣味がよさそうなありきたりのデザインをモチーフにしつつ、そこにひと味違うひねりを加えた「変わったシックさ」があります。この意外性をはらむ要素を盛り込んだ彼女のデザインは人を惹きつけてやまない、強烈な色気を放っているのです。

革新的なナイロン素材の採用

プラダというブランド代表するアイテムであるナイロン素材。ミウッチャ・プラダが一時期低迷していたプラダを復活させた一打となったアイテムです。
1980年代に発表したナイロン製のバックパックは彼女がプラダのデザイナーとなった初期の画期的な試みでした。当時の世相といえば、裕福であることが重要で、ボリュームたっぷりのヘアスタイルが流行り、なにもかもが過剰だった時代。

そんな折にデザイナーズブランドのバッグをナイロン素材で作るのは時代に逆行したものでした。ナイロン素材は当時、高級品の条件と考えられていた要素と、すべてにおいて真逆だったからです。また、バックパック自体、それまでは女性が持つものとも思われておらず、ブルジョア的な要素はかけらもありませんでした。

そのため、世間がプラダのバックパックを受け入れるまでには、時間がかかったものの、1990年代にはこの革新的で斬新なデザインは世界中から大きく注目を浴びます。プラダはこのナイロン素材をアパレルにも採用し、カシミアやシルクと同等の素材として扱いました。

プラダのナイロン素材はミウッチャ自身が認めているように「これまでの、保守的な“ラグジュアリー”のイメージ」そのものを一変させたのです。ナイロンはその後もずっとプラダのコレクションに使われています。

ミウッチャ・プラダの私的スタイル

こうした革新的なものを生み出した彼女ですが、私的なスタイルにも定番アイテムに遊び心や意外性を盛り込むことで、多くの方を魅了しています。

年齢こそ70歳を越えていますが、鮮やかな色使いをはじめ、ポイントを抑えたアクセサリー&シューズ選びなどは彼女のエイジレスな輝きを放ち、装う愉しさを教えてくれます。各コレクションではそれぞれでフューシャピンク、ネオングリーン、スカーレットなどの鮮やかな色彩のワントーンでまとめた姿が。

大きく折り返した袖にはトレードマークとなっているバングルを添えたり、ギターモチーフのピアスでエッジを効かせたりとアクセサリー使いも見事。

ときにはスポーティーなセットアップ等のマニッシュなスタイルも採用しますが、その際にはあえてボリューミーなビジュー付きのネックレスでインパクトを狙うといった、意外性の組み込みが見られます。どの場面でも彼女の着こなしが人を惹きつけるのは、彼女のプラダのアイテムのデザインと同じく、そこにひと味違うひねりがあるからでしょう。

ココ・シャネル

言わずとしれたブランド「シャネル」の創業者で、20世紀を代表する女性デザイナー。彼女は生前、「あたし自身がモードだったのよ」と語っている。彼女が活躍し始めたのは20世紀初頭。それまでのファッションは男性の庇護のもとで生きる裕福な女性を対象とした男性から見て望まれる女性像に合うものであった。そんな時代の中で、彼女は自分自身にとって着やすく、自分自身に似合う服を自らがモデルとなって提案し、社会で活躍する新しい女性像のためのファッションを作り上げました。

彼女はジャージーやツイード素材のスーツ、黒一色のドレス、パンツスタイルなどスポーツウエアやメンスウェア、ワーキングウェア、アンダーウェアといったそれまでの婦人服とはかけ離れた実用的な服の要素を盛り込んだファッションを提案し、流行させた。また、ジユエリーやパック、パンプス、香水などコーディネートしやすくドレスと組み合わせることによって装いをより美しくするアイテムを展開しています。

動きやすく着心地の良い実用的な素材を用い、過剰な色や装飾やシルエットを削り、コーディネートすることによって知的な女性らしさを表現できるシンプルで装いやすい服。シャネルが提案し続けたファッションは常に「機能的でエレガント」な不変のコンセプトがあります。

以降では、彼女が自身の着こなしを通して生み出したいくつかのアイテムを取り上げます。その全ては現在にも当然のように存在しており、そのことからも彼女の着こなしそのものがファッション史に与えた影響の大きさがわかるはず。

動きやすい素材のジャケットスタイル

20世紀初頭のこの時代に女性が着ていた服といえば、タイトなシルエット、高いウエストライン、足首に届く長いスカート、装飾過剰な洋服といったものでした。そんな折にヨーロッパでは第一次世界大戦で出征した男性の代わりに女性たちがバスの運転手から工場員まで、さまざまな労働に従事するように。当然、従来の服は女性にとってとても窮屈なものでした。

シャネルは男性用下着のために抱えていた大量のジャージーのストックを買い取り、その耐久性と柔軟性を活かして女性のファッションを提案しました。それがシンプルで着やすい服を求めていた女性たちのニーズに合い大流行。1920年代にはジャージーのジャケットとプリーツスカートの組み合わせがシャネルの定番となりました。

シャネルは同じく従来はメンズ素材であったツイードも女性ファッションに持ち込みました。ブレード飾りが施されたツイードのカーデイガンジャケットと膝下丈のスカートは「シャネルスーツ」として定番となりました。

女性のパンツスタイル

シャネルはメンズウエアであるズボンを女性らしくエレガントに装うことのできるファッションアイテムとして実践的に提案し女性のパンツスタイルを広めました。シャネル自身はデザイナーとなる前のロワイヤルリュー滞在中にも乗馬の際などには動きやすさからパンツを着用しており、1910年代にはパジャマスタイルの作品を発表しています。

ウエストミンスター公のヨットの乗組員の服装からヒントを得たマリンルックの展開では実用性に加え、海でのヴァカンスを楽しむことのできる余裕のある生活のシンボルというイメージが付されたパンツスタイルを提案。その後も素材使いやコーディネートによって女性のエレガントなパンツスタイルを提案し、定着させていきました。

モードの主流色「黒」

20世紀初頭では、黒色は喪服のイメージが強いファッションとは無縁の色であった。シャネルは1920年代より黒一色のドレスを発表し、シックな色として流行させた。

当時のアメリカでは、規格統一化により多くの国民に受け入れられた大衆車フォードになぞらえて、シャネルのシンプルな黒いドレスが多くの人に受け入れられる最先端のドレスであると捉えられていました。

また、足元にもシャネルにより黒の活躍が提案されました。1960年代には、黒とベージュ、黒と白など2色使いのパイカラーのパンプスを考案。

足を小さく見せるという見た目の効果を狙ったデザインに加え、日常での汚れが目立たないようトゥの先端に黒色を配し、実用性も考慮されたもの。パックストラップ付きのタイプが有名で、「シャネルシューズ」と呼ばれ今でも親しまれています。

イミテーションジュエリー

豊かさや家柄の象徴としての宝石を多用することを嫌ったシャネルは1930年代にイミテーションジュエリー専門のアトリエを開設し、誰もが自由に気軽に楽しめるアクセサリーのコレクションを展開します。セーターやパンツといった実用的でカジュアルなイメージのシンプルなアイテムに大胆なジュエリーをコーディネートするシャネル特有の装いには欠かせないアイテムとなりました。

ショルダーバッグ

ハンドバッグを持つと片手を奪われて不便であることから、1920年代にシャネルによりエレガントなショルダーバッグが考案されました。柔らかい羊皮にステッチを入れて型くずれを防ぎ、持ち手の革ひもにチェーンを絡ませて耐久性を加え、またパックの内側に種々のポケットを設けるなど美しさと実用性を追求したバッグは1950年代から本格的に生産されるとすぐに大流行。「シャネルバッグ」と呼ばれ今にも流通しています。

香水

1920年代に発売された香水 「CHANELNo.5」は世界の香水の中で高い人気を保ち続けています。従来の香水は、花の原料だけで作られ、単一の花の香りしかしないものでした。大量の花を消費して作られた香水はとても高価。この当時、香水を買えるのはごく一部の層だけでした。

1920年にシャネルの依頼を受けた調香師エルネスト・ボーはそれまで未使用だったアルデヒドなどの化学合成品とパラやジャスミンなど約80種類の香りを調合し、それまでにはない新しい香りを生み出しました。

そして、その試作品の番号 「No5」をそのまま香水の名前とし、容器には従来の装飾性豊かな香水瓶とは対照的な白いラベルのついたシンプルな透明の角形のガラス瓶を採用。

香り、容器、名称ともに斬新なシャネルの香水は瞬く間に大流行となりました。さまざまな花の原料に化学合成品を加えることによって大量生産が可能になった香水は、階級を超えて全ての女性のものになりました。

シャネルは生涯のデザイン活動を通して女性の視点からのファッション提案を重ね、多くの人が享受できる、着心地がよく、シンプルでエレガントなトータルファッションスタイルを確立しました。それは20世紀の産業や生活の変革を反映しており、特に新しい国であるアメリカの強力な支持を得ながら人々に受け入れられました。

20世紀の新しい女性であったシャネル自身が時代の空気を敏感に感じ取りながら身を以て発信したファッションは、単なるうわべの流行ではなく社会と女性の生き方にマッチした新しいスタイルであったと言えます。

<参考>
ココ・シャネルのファッションスタイル|神戸ファッション造形大学 藤本純子
https://www.jstage.jst.go.jp/article/clothingresearch/54/2/54_83/_pdf/-char/ja

ミウッチャ・プラダが73歳に! 真似したいテクが満載のエイジレスな私的スタイル集。|VOGUE
https://www.vogue.co.jp/celebrity/stylewatch/2019-05-10/miuccia-prada/cnihub

ミウッチャ・プラダが今語る、デザイナーとしての信念。|VOGUE
https://www.vogue.co.jp/fashion/interview/2018-05-miucciaprada

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